女子大生の感想文記録

提出物です。大学1年生。

さずかり婚2

 

 

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授かり婚―古くて新しい結婚の形」

 

 

〈さずかり婚とは〉

恋愛、見合いを経て結婚してから子どもをさずかる従来型ではなく、先に妊娠をしてから結婚するという形が増えたことでできた言葉。できちゃった婚、恵まれ婚、おめでた婚とも言われる。

ここ7.8年は出生数全体の約1/4がさずかり婚によるもの。

 

 

〈最近増加してきた理由〉

芸能人のさずかり婚が目立つようになり、その影響を受けて増加している。
元々はさずかり婚に近い形式の結婚が庶民にとって当たり前な時期が長かった。明治時代後半から内縁夫婦が少なくなり、それ以降一旦は「順序が逆」「世間体が悪い」と言われてきたが、また急速に受容されつつある。

➡古くて新しい結婚形態

 

 

〈歓迎されるべき?〉

法律婚や性別役割分業を回避した結果が少子化

⇔さずかり婚の多くは法律婚、性別役割分業のどちらも維持しようとする形態である。

授かり婚出生率の上昇に寄与するのでは?

 

様々なライフスタイルがある中でさずかり婚も受け入れられていくべきではないか。

さずかり婚

・さずかり婚とは

恋愛、見合いを経て結婚してから子どもをさずかる

先に妊娠をしてから結婚するという形が増えたことでできた言葉。できちゃった婚、恵まれ婚、おめでた婚とも言われる。

ここ7.8年は出生数全体の約1/4がさずかり婚によるもの。

 

・最近増加してきた理由

①芸能人のさずかり婚が目立つようになり、その影響を受けて増加している。

②元々はさずかり婚に近い形式の結婚が庶民にとって当たり前な時期が長かった。明治時代後半から内縁夫婦が少なくなり、それ以降一旦は「順序が逆」「世間体が悪い」と言われてきたが、また急速に受容されつつある。

↪︎古くて新しい結婚形態

 

・さずかり婚は歓迎されるべき

法律婚や性別役割分業を回避した結果が少子化

 

さずかり婚の多くは法律婚、性別役割分業のどちらも維持しようとする形態である。

出生率の上昇に寄与するのでは?

 

様々なライフスタイルがある中でさずかり婚も受け入れられていくべきではないか。

 

イタリア語

「イタリア語の特徴について」

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〈名詞〉

イタリア語の名詞には性があり、男性名詞と女性名詞に分けることができる。基本的に-Oで終わるものは男性名詞-Aで終わるものは女性名詞となるが、-Eで終わるものがあったり-Oなのに女性名詞だったりと規則に当てはまらない場合もある。そして英語では複数になると最後にsがつくだけだが、イタリア語では男性名詞は-I、女性名詞は-Eと語尾が変化する。名詞自信も変化する上に名詞の性や数によって冠詞や形容詞の語尾も少しずつ違うので、英語や日本語と比較して複雑であると言える。

 

〈動詞〉

英語では動詞の活用が、現在形では三人称単数を除いてはすべて同じである。一方、イタリア語では、主語によって語形が変化する。英語で、三人称単数とその他と分けるところ、io(私は)、tu(あなたは)、lui/lei(彼/彼女/あなたは)、noi(私たちは)、voi(あなたたちは)、loro(彼ら/彼女らは)の6通りにもなる。ただare動詞、ere動詞、ire動詞というように、基本的には規則的に語尾が変化する。

 

〈冠詞〉

まず、英語と同じように不定冠詞と定冠詞に分けられる。英語の不定冠詞はaまたは後にくる名詞の読みによってanに変わるだけであるし、単数の場合にしか付けない。イタリア語では女性名詞と男性名詞に付くものが分けられているし、英語でaとanを使い分けるように読みによってつける冠詞が違うこともある。また、単数だけではなく複数名詞にも不定冠詞を付けるので、名詞がどちらの性で単数か複数なのかすぐ見分けて付けなければならない。

定冠詞についても英語ではすべてtheなのに対して、不定冠詞と同じように名詞の性、数、最初の読みによって違う定冠詞がつく。

 

〈形容詞〉

英語では基本、名詞を修飾するための形容詞は名詞の前につける。私達が使う日本語でも名詞の前である。しかしイタリア語では形容詞は名詞の後ろに置いて修飾する。例えば英語でa pretty girlとなるところ、イタリア語ではuna ragazza carinoというように、かわいいという意味のcarinoはragazzo の後ろになる。

また冠詞のように、形容詞が男性名詞を形容するか、女性名詞を形容するか、さらに形容する名詞が単数か複数かによって語尾が変わる。

教特レポート8

今回の講義では村野婉子さんの「戦中日記」を読んで、当時日本女子大学にどんな人物が入学していたのかを学んだ。また、日記の内容から戦中の女性たちの暮らしがどんなものであったかを一部知ることができた。

日記を読んでみた率直な感想は、思っていたより現代の人みたい感情に感情豊かで、出来事だけではなくそれに対してどう思ったかが書かれていたりして面白かった。もちろん、少女が武器を作る工場で働くことだったりと、戦中であることによって今と状況は全く違う。でも例えば十月三日の日記の最後、だめと言われていた編み物について皆に話がわかってもらえて「胸がすーっとした。」とあったり、四月二十一日には男性が休んでいるのに怒っていたりと、今の私達も思うようなことで親近感がわいた。

ただ当時にとってはそれはとても日記に残して表現できるものではなかっただから、婉子さんは周りの目を気にしない大物だったのだろうなと思った。このような核心を突くような感情表現が権力の管理の元にもあったことには少し驚いた。

私が当時を生きていたとして婉子さんみたいな正直な日記を書けるかはわからないが、誰か何かに影響を与える人になれたらなと思う。

教特レポート4

4.第1回教特講義を受けて考えたこと。

1.「わたしの大学」を読んで考えたこと。

 

この講義を受けて、この先生きていく中でストレスに潰されないようにするためにどう対処していくのがいいのかなどを学ぶことができた。

 

大学生活は高校までとは大きく変わり、自分の自由の時間が多くなり、様々な拘束から解放されたと感じる。自由になる代わりに責任を持って行動しなければならなくなるが、そこで何か不安に感じることが増えたりして疲れてしまうことが多いということがわかった。

 

私は自分ではストレスを感じていないし、マナバから提出したセルフチェックの結果を見ても大丈夫そうだった。あまり深く考えない楽観的な性格だから今は大丈夫かもしれないが、これから就職してからだったり今のアルバイト絡みだったりで辛くなることもある。もし不安に押し潰されそうになったり辛くなったりしたら、やっぱり人に相談したり、少し休みを取ったりするが大切だと分かった。不安で悩むことは自分の身を守るために生じるもので恥ずかしいことではないと思った。誰か他に話したりするだけでずいぶん気持ちが軽くなるし、一緒に何が原因でそうなっているのかを考えることができる。これから社会で生き抜くためにずっと覚えていようと思う。

教特レポート1

1.「わたしの大学」を読んで考えたこと。

 

私は「わたしの大学」を読んで、日本女子大学の教育理念や特色、どのようなことを学ぶことができるのかなど色々知ることができた。

 

まず、成瀬先生が亡くなる直前に残した、信念徹底、自発創生、共同奉仕という三網領にはどのような思いが込められているのかを考えてみた。大学生になって良くも悪くも今までとは違って自由に学べる環境がある中で、今後の自分のために何ができるかを考え、何事にも挑戦すらふ姿勢をもって欲しい、という願いの自発創生。また自分がやることを決めてから、それを続けていく根気強さを持つことを願いのこもった信念徹底。そして共同奉仕は、自分だけではなく、他人と協力していくことも大切であるという教えであるのではないかと思った。この教えは学問に関してのみならず、就職してからその先にも言えることである。ずっと心に留めて生きていけたら素敵だなと思う。

 

わたしの大学を読んで、改めて自分は日本女子大学の一員であることを強く自覚することができた。これから成瀬先生の掲げた理念を軸に積極的に学んでいきたい。

 

教特レポート3

成瀬記念館の展示を見て考えたこと。

今回は講演会でも少し触れられていた、女子の体育教育について成瀬先生がどんな風に捉えていて、どのように取り入れられていったのかを知ることができた。

まず、資料の成瀬先生がアメリカに留学していた際の記録から、留学して視察を始めてすぐの段階で体育の教育か必要であると気がつくが、自国でやっていたことでないため、学問を学ぶ上で関係ないと思ってしまいそうなのにそのようなことに気付けるのは凄いなと思った。そして、成瀬先生が学んだ体育の重要性をもし麻生正蔵さんが理解して伝えていなかったら今の体育はなかったかもしれないので、当たり前に体育ができているのは2人のおかげといっても過言ではないなと思った。

また、学生主体で新設された体育会についても、今の部活動に繋がるのではないかと思った。私はとても運動をするのが好きだから、女子にも体育をすることを広めてくださった2人に感謝しようと思う。