女子大生の感想文記録

提出物です。大学1年生。

教特レポート2

2.創立記念式典・講演会に参加してかんがえたこと。

今年度は式典はなかったけれど、この日本女子大学の歴史について、また成瀬先生の女子教育への理念を今回の講演で学ぶことができた。

まず、この大学が日本で一番最初の女子高等教育機関であるということを知った。当時、男性の方が優れていて女子教育は不要という日本の考え方があった中で、成瀬先生や他にも創立を助けてくれた方、資金援助をしてくれた方によって開校できたのだとわかり、これからこの大学に在籍できることを誇りに思ったし、たくさんの人に感謝して学ばなければならないなと強く思った。

それから、開校後女子への体育の教育を積極的に取り入れていったのもこの大学が最初であると知って驚いた。それと同時に、今当たり前に受けている体育の授業がそうではなくて、昔の人の努力によってあると考えるとありがたいなと思った。

私達は成瀬先生の思いを受けとめて、教育理念である「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」のもと、自ら積極的に考え行動する姿勢を持ってこの大学で学んでいくことが大切だと思う。

教特レポート5

5.第2回教特1講義に出席して考えたこと

私は今回の講義で活習慣を良くしていくことがとても大切だということに改めて気づき、自分の生活習慣について少し見直すことができました。

様々なデータがある中で、コロナウイルスが流行している今特に乱れてしまいがちなのは、睡眠時間と運動をする習慣だと私は思う。

授業が始まる直前に起きれば間に合うからと言って11時まで寝てしまったり、朝ゆっくり寝られるため寝る時間がとても遅かったりしてしまう人が増えているのではないか。私も、曜日によって気象時間、睡眠時間がバラバラである。朝6時からファミレスのアルバイトをしているため、週に3日くらいは5時に起きる日があるが、バイトがない日は8時や9時まで寝てしまうし、寝る時間は日によって違ってしまっている。講義を通して、このまま不規則な睡眠を続けていると疲れが出たりうつになったりすることを学んで、バイトがない日も7時までには起きるのと夜は11時には寝ようと思う。

また、私は実際に学校に登校することがなかったため、サークルに入るのが遅くなり運動できない期間が長くなってしまった。サークルに入る予定がない人でも学校に通うまで電車に乗ったり歩いたりする運動量が減ってしまったりすると思うが、体脂肪を増やさないため、そしてストレスをなくすためにも、少し面倒に感じても運動は続けるべきなのだとわかった。家でできるストレッチやトレーニングのほか、私はバイト先まで自転車を使うのではなく歩いて行くように変えた。

生活習慣を整えることが大切だということは知っていたが、改めて見直すことができて良かったです。

教養特別講義1回レポ

まず私は、今回の授業で初めて関東大震災の被害がどんなものであったかを知った。今までは、それほど大きな地震ではなかったけど昔だったから被害が大きかった、また、東京で一番揺れたんじゃないかと思っていた。しかし実際に震度7も揺れているし、東海道線沿いでの揺れが一番大きかったことを知って驚いた。私は祖父母の家が大磯町にあるので、よく東海道線に乗る。特に自分にとって身近な地域なので授業中に線路や駅の被害を写真で見てとても衝撃を受けた。

地震の混乱の中で起きた朝鮮人の虐殺が起きたことについても全く知らなかった。私は、大きな証拠もないのにどうして朝鮮人が暴動を起こしているなどというデマが広まったのか、なぜ殺してもいいと公言されるまでになってしまったのか疑問に思ったが、これも地震によって皆が混乱していた状況だったからこそ起きてしまった事件なのではないかと思った。自然に起きてしまった災害であるにも関わらず、その被害の一部が異民族によるものであるとされるのは差別でおかしい事であるし、デマを信じ込み沢山の朝鮮人を簡単に殺してしまう日本人も本当に怖いと思った。虐殺が起きなかった地域のように、民族の違いを超えて交流を持ちデマに流されない信頼関係を築くことや、世の中が混乱した状況でも冷静に考えて行動を判断することは今の私たちにとっても大切なことなのではないかと思う。

青年期の対人関係

「青年期の対人関係」

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 私は昔より今の方が子どもと親の関係が近くなっていて、反抗期がない子どもが増えているという点がとても興味深いなと思った。実際のところ、私も十九年間生きてきた中で反抗期という期間はなかった。とりわけ父や母と仲が良いわけでもないし、どちらかというとよく怒る母であるため、私は反抗したりする性格じゃないからなかったのだろうと思っていた。しかしよく振り返って考えてみると、母はよく私を叱るが、それと同じくらい褒めてくれることも多い。上の世代の親たちがどのような教育をしていたのか私は知ることができないけれど、確かに現代に近づくにつれて褒める親が多くなっているため反抗期がある子どもが少ないのだなと思った。

 しかし反抗期がない、というのは完全に良いことなのだろうか。甘やかされて育てられ社会に出てから挫折したり、親に頼りすぎて自立が遅い、または自立できない子どもも増えているのではないかと思う。もし私が子どもとして育てられるなら、甘やかされるより、きちんと叱り社会にでて困らないように育ててくれる親の方が良い。これからは、子どもの自立の遅れに影響の出ない範囲で親子同士仲の良い関係を築くことが大切だと思う。

「ゴジラ」を観て

ゴジラ」という映画について「怪物」を考えるための視点として「秩序」と「他者」との関係を考える。

 

まずこの映画における「秩序」は人間の暮らす平和な世界である。人間にとっては戦争がなく、大規模な家事や災害のない平和な暮らしが維持されることが望ましい。

 

そしてタイトルにあるように、「他者」はゴジラである。この映画ではゴジラは何艘もの船を沈没させたり、急に地上に上陸しては人間たちの建物を破壊していく。ゴジラが「他者」とされるには二つ理由がある。まず一つ目は、ゴジラが人間ではない生き物であることだ。人間と非人間とで線引きをすると、ゴジラは人間よりはるかに大きい化け物つまり怪物であるから他者と言える。二つ目の理由はゴジラが人間の「秩序」を撹乱させるものであることだ。人間、つまり「秩序」の側から「他者」であるゴジラは、突然やってきて街を壊していくような、おぞましく好ましくない生物だ。そもそも巨大な恐竜のような生物であるため、見た人を驚かせ、混乱させる。平和に暮らしていたのに生活に必要な建物や施設が壊され、ゴジラが火を吐くために都会が火の海に変えられていく。それに加え、火災、建物の破壊により大勢の人々が亡くなっている。こうして人間の「秩序」は壊されているためゴジラは「他者」とみなされる。

 

この怪物で「他者」であるゴジラは、「秩序」を維持しようとする人間にどのように対処されたのか。結論から言うと、核兵器によって排除された。政府はゴジラが姿を現し始めた頃から既にゴジラを殺そうとしていたが、一部では生物学者である博士や、核兵器を持っているにも関わらずそれが広まることを恐れていら科学者はゴジラを殺すことをあまり良くないと思っている人物もいた。しかし物建物の破壊や火災による被害が大きくなり、それとともに死者が増え続ける状況の中で、科学者はゴジラを殺すために核兵器を使う判断をし、使うのと同時に新兵器が広がらないために自らの命も絶った。私は人間にとってゴジラを殺す判断は仕方のない判断だったと思う。「秩序」が「他者」を対処する手段として大きく分けて三つあることを講義で学んだが、まず、「他者を秩序に取り込む」という方法は「他者」がゴジラであるため人間とコミュニケーションが取れないため、良い形で共存していくのは不可能だ。次に、「好ましい他者になってもらう」という方法について考える。前に述べたように殺さずにゴジラについて研究をし、海で静かに暮らして欲しいと願う生物学者もいた。この考えをする人がもっと沢山いて、現実的に可能であったならばこの方法で対処されるのが一番望ましかったのではないかと思う。しかし、あれだけ死者が出ているわけだし、海に帰ってもらう方法も具体的にはわかっていなかったことを考慮すると、「好ましい他者となってもらうのも」厳しかった。つまり、この映画の結末通り「他者を排除する」という手段を取るしかなかったと考える。個人的には、人間によって住むところを追い出されたゴジラが地上に来てしまったのは仕方がなく、すべてゴジラが悪いわけではないのに殺されてしまって物語の結末を観ていて少し悲しくなった。

 

そしてこのゴジラが社会問題の象徴となっていると考える。映画の公開が戦後すぐであったこと、街が燃やされていくシーンが空襲による大火災に似ていることから、戦争を象徴しているのではないかと思う。まずゴジラが海底から地上に姿を現し始めた原因が水爆の実験によるものであった。つまり、人間があまり望ましくない行為をしたことによって「他者」によって「秩序」が脅かされることになった。私はこの苦しむ原因が「秩序」にあった点で、ゴジラと戦争はすこし似ているのではないかと思う。ゴジラが殺されてから生物学者の先生が、「水爆の実験が続けばまた同類の生物が出現するだろう」という旨のことを述べていた。これがもし戦争と重ねられていたのなら、再び戦争が起こる可能性があると言っていることになり、恐ろしいなと思った。

 

 

基礎演習

 

②関心を持った理由

私がこの話題に関心を持った理由は、木村花さんの事件を受けて、一人一人のSNSでの些細な発言が人を殺してしまうということを知り、改めてSNSって怖いなと感じたからだ。SNSは私たちが普段から見たり投稿したりと使用するものであって、一歩間違えれば自分も加害者になりかねない。若い私達にとって特に身近で、私達こそ気をつけていかなければいけないことだと思ったし、この先同じような事件が起きないようにするには何を変えればいいのかを自分で調べてみたいと感じたから、この問題に関心を持った。

 

③その事象が「社会で取り上げるべき問題」である理由

私がこの問題が社会問題であると考える理由の一つ目は、誹謗中傷による被害の原因が私たちの身近にあるSNSであるということだ。この問題は先日木村花さんが自殺によって亡くなったことで話題になったが、それだけではなく、SNSがの普及が広がるにつれて人権が侵犯されたという被害の声が増え続けている。法務省によって出されている日本での人権侵犯事件の件数のグラフから、昨年誹謗中傷によって人権が侵害されたという被害の件数は約1200件にも上る。

近年そのような被害が増えているにも関わらず、多くのお金をかけて裁判を起こし、サイトから端末情報を提供してもらえる権利を得、さらにそのIPアドレスから携帯会社に個人情報を公開してもらうために裁判を起こし、それが通ってからでないと賠償金の請求等ができない、といった状況である。このままではまた同じように被害を受けた時に同じように賠償金の請求もできず、死亡者が出てしまう可能性がある。これは社会全体で考えて法律を変えていく必要があるから社会問題と言えるのではないかと思う。

 

④報告でもらった質問

・今回の事件のようにテレビ番組の影響で誹謗中傷の声が高まってしまうことがあるが、テレビ番組側が誹謗中傷を受けた、または受ける可能性がある出演者に対して、具体的にどんなサポートができるか。

SNSの投稿に制限をかける場合、誹謗中傷となる言葉とそうでない言葉の線引きは何で決めるのか、どこまでは誹謗中傷とならないか。

TwitterInstagramでよく使われる匿名で投稿できる質問箱の機能についてどう思うか。

 

⑤報告でもらった質問に対する回答

・もし放送後、予想以上の量の誹謗中傷発言が投稿されていたりしたら、番組スタッフやマネージャーからあまり気にしないように出演者に伝えたり、SNSでのエゴサーチをさせないなど工夫をするべきだと思う。また放送する前に、炎上したり批判を受けそうと思われる内容は編集によって切り取ったりするべきだと思う。

・言葉は無数にあるためここまでは良い、ここまでは悪いとは断言できない。ただ私は、悪意がこもっているかそうでないかで分けられるべきだと思う。今そのような規制をかけるとすれば人がひとつひとつ目を通し、対象となる人への悪意があるかどうかを判別していく必要がある。もしAIが発達し、その仕事をできるようになれば便利だと思う。

・悪意なく使う私たちにとっては気軽に質問できる良い機能であると思っていた。でもこれが悪用される場合があるのを考えると、わざわざ匿名で送る必要はないとも思う。面と向かって質問できないことは質問するべきではないから、廃止するか、発言に規制をかける等の処置をするべきだと思う。

 

⑥自分の考える解決方法

私が考える解決方法は三つある。一つ目は、まずはひとりひとりが相手のことを考え、傷つけるような発言、プライバシーのない発言をしないことだ。木村花さんの事件の後、ある芸能人の方が「誹謗中傷の投稿がひとつならなんてことないが、それが数千数万とあると味方がいないような気がするし、死にたくなる」と言っていた。意識しなくてはならない人の数は膨大だが、法律を変えたりするより遥かに簡単にできることだし、一番望ましい解決方法であると思う。二つ目は個人情報を被害者に公開するまでの手続きを簡易化することである。現在では多額の金額をかけ二度の裁判を乗り越えてからでないと加害者がわからない。このままでは簡単に個人情報が知られないのをいいことに、悪口を書き込む人は減らないと思う。制度を変えもっと早い段階で個人情報の提供がされるようになれば、加害者を突き止めることに加え、ばれてしまう恐れからSNS上での誹謗中傷となる発言を抑えることができるのではないかと思う。三つ目は、SNSで投稿する際に、誹謗中傷となる言葉や悪意があって人を傷つけるような言葉を規制する機能をつけることである。細かい判断は実際に人が目を通さないといけないと思うし、表現の自由に反するという意見があるため、すぐに対応するのは難しいと思う。しかし人工知能が発達して投稿が誹謗中傷であるかそうでないかを判別できるようになれば、SNSで悪口がなくなってこのような事件もなくなると思う。また、表現の自由よりも人の命が失われないことの方がずっと重要であるから、規制の機能を早めに取り入れるべきだと思う。

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ネットの多数派、本当に多数派?という動画では男の子が自分のSNSやネットのサイトの情報を見て、自分の好きなものが多数派であると勘違いしてしまう。最近のSNSではその人の検索したワードや閲覧履歴を自動で分析し、それに合わせてよりクリックしてもらえそうなリンクを表示するため、趣味嗜好の合う仲間が増えた感覚に陥ってしまう。これが、アイドル等の趣味だけではなく良くない考えが正しいものであると誘導されてしまったりすると、危険である。

 

私もインスタグラムやユーチューブ、ツイッターなどを利用している時、自分の見たいものがお勧めされて出てくるのは探しやすいことだし便利だと感じる。しかし、もしそれに気づかないで勘違いをしたり、政治的な考えを他人に強要したりしてしまう可能性があると考えると怖いなと思う。

現在ではとくに、政治家の批判や感染症への考えが数多く発信されているので、私も、これが正しいと思い込んでしまうかもしれない。しかし、それらの情報を全て本当であると思って鵜呑みしてしまうのではなく、誰かのひとつの考えであると心に留めておく程度にしようと思った。そして自分が見ている情報は自分の趣味に沿ったものであることを忘れないようにすることや、SNSだけではなくテレビでニュースを見たり、たくさんの情報を客観的に判断できるリテラシーの能力を身につけていくことが大切だと思う。